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災害時に寄り添う|支援者が寄り添うとは(4)

今、2021年4月25日から新型コロナウィルス感染症対応の特別措置法に基づいた3度目の「緊急事態宣言」が発令されようとしてます。
忘れてはいけないのですが、別の「緊急事態宣言」下にあります。「原子力緊急事態宣言」です。同宣言は、東日本大震災で起こった東京電力福島第1原発の事故を受けて2011年3月11日午後7時3分に、菅直人首相が発したもので、10年経過しました。2020年12月の参議院で、 環境大臣政務官は、「まだ緊急事態解除宣言までは程遠い」と答え、福島第1原発に核燃料のデブリが大量に残っていることが「程遠い」理由だ としています。そして、そのデブリの位置もいまだに不明確です。
そして、新型コロナウィルス感染症の蔓延です。これは、災害だと思います。日本にウィルスが確認されてから、1年数か月経過しましたが、今なお、災害の真っ最中です。災害のレベルで言えば、初期の初期の段階です。収束の兆しも見えず、安全、安心は確保されていません。
災害時、それが脅威であればあるほど、人間の力の無力さを思い知らされます。自分が環境に働きかけ、環境を調整している感覚を制御感(controllability)と言いますが、災害は人から制御感を奪います。そして、社会的に弱い者ほど、制御感の喪失は強烈です。安全を優先するがゆえに、自由が束縛され、こどもは、命を守る行動を保護者などの大人から強制され続けるのです。…そのような流れの中で、こどもは大人よりもはるかに制御感が弱くなってしまいます。
この記事は、教師や避難所のスタッフなど、多くのこどもに接する大人がこどもたちのこころのケアをどのように行っていくのか、とくに課題のある子どもを見出し、どのように働きかけるのかを述べた連載記事の最終回です。4回を通して伝えたこと、それは「共感的理解」なのです。

支援が必要なお子さんを定める意味…子どもの体験を想像する

「第一の原則:不快な感情を言葉で表現する」
「第二の原則:場面と感情とが一致ないお子さんに注目し、さらに深く理解しようと考える」

これまで述べてきたのは上記の2つの原則です。これらは、お子さんたちに関わり心理的な支援を行いながら、より支援が必要なお子さんを見出すことを目指しています。

東日本大震災陸前高田 2011年11月25日撮影:小林正幸

東日本大震災のときには、臨床心理士がスクールカウンセラーなどの支援者の立場から、簡単に行えて、お子さんの心を侵害することが少ないお子さん向けの質問項目や、アンケートが数多く開発されました。これらの調査は、専門家の個別の支援が必要であるかどうかを見出すものです。これをスクリーニングテストと呼びます。

ここで少し愚痴を言うと、このようなテストを心理の支援者たちが被災地で実施しすぎてしまっていたようです。症状が本格的に出現するのは、災害が終了し、安全が確保され、復旧から復興に入った後で、東日本大震災の場合なら数か月後経過してからだろうと思います。本当に支援が必要になる数ヵ月後に被災地に入ったときには、「心理」とか「こころのケア」という言葉にすでにアレルギーができていました。最初から、「もう結構です」と何のサービスが受けられるのかを確かめる前に断られることが少なくありませんでした。

その調査結果を元に的確で継続的な支援がなされたのであれば良かったのですが、実際にはどうだったのでしょうか?調査のための調査は、謹まねばならないと思います。子どもの臨床では、そのようなテストを使っても低学年のお子さんの回答は信用なりません。小一時間、子どもの姿を見て、課題が見抜けるようでないと、幼い子どもの支援はできないように思います。

これまでに述べていることも、言うならばスクリーニングテストです。けれども、ここでの目的は、教育活動を行う際に、一番、心理的に辛いお子さんに焦点を当てながら、侵害性が少なく、お子さんの健全性を向上させるために、全般の教育活動で重点を置くポイントを特定するために、そのお子さんを深く理解することにあります。

第三の原則:どのような体験をしたのかを想像する

大事なことは、お子さんの事情を直接に聞き出さずに、お子さんが体験したこと、お子さんの事情を探ります。どのような辛い体験をしたのかの客観的な情報を得るようにします。

探偵のように?いえ、似て非なるものです。言うならば、恋愛をしているとき、自分が恋する人のことを知りたいと思うことに似ています(ストーカーじゃないですよ)。そのときに、どう するでしょうか?相手に不快感を与えないように、自分が探っていることに相手に気取られないように、それとなく相手の事情や体験を分かろうとするのではな いかと思います。

陸前高田2011年11月25日撮影:小林正幸

友人や親御さんから、あるいは、前年度の担任から、そのお子さんについての第3者の情報を得ます。さまざまな辛い場面の情報がいくつか得られたら幸いです。それだけで十分です。

たとえば、「肉親のご遺体が見つかったときに、その姿を見た」という事実、出来事と、そのときのお子さんの様子「じっとしていた」「泣いていた」「無表情だった」などなどのエピソードの断片があれば、それで良いのです。

そして、想像します。そのときに、自分がそのお子さんだとしたら、それを「どう感じるのか?」と思います。自分だったら、「どう振舞うのか?」「どう表現するのか?」を考えます。これが想像するということです。

第四の原則:否定的な自分への語りを想像する

 何かの出来事に出会ったときに、どう振舞うのか、どう表現するのかは、人それぞれです。自分が想像で振舞うことや表現することと、目の前のお子さんが、その辛い場面で表す表現は違うはずです。

しかし、その場面で感じた感情は、大人であろうが、子どもであろうが、状況が理解できるならば同じものを感じます。程度の差はあっても、生じる感情は、人によって違いはないのです。なぜなら、感情は言葉を覚える前から人にはあるもので、それを共有できることが、人を人たらしめている遺伝子だからなのです。

そこで、お子さんが何を感じていたのかは、自分が想像したときに感じる感情と一緒です。そのときに、そのお子さんと同じように振舞い、同じように表現したのだとします。自分であれば、そのような体験をしたら、自分のことを何だと思うようになるのかと考えます。

たとえば、それは、次のようなことです。

「私はダメだ」「私は役立たない」「私は弱い」「私は力がない」
これらは、災害で悲惨な場面に出会った場合に持ちやすい自分の考えです。

また、人間関係の中での傷つき、肉親を失ったような場合では、次のような考えが加わるかも知れません。
「私が悪い」「私は愛されていない」「私は一人ぼっちだ」

この本人の中に生まれる考えを探る作業は本当に辛い作業です。しかし、その体験がお子さんに植え付けた自己否定的な考えが想像できさえすれば、教育の場での支援の方向性がこの台詞の中に浮かび上がって来るのです。支援策の方向性の最大のヒントは、この台詞の中にあります。

深く理解するとは、過去の辛い体験が、お子さんに植え付けた自己否定的な考えを、実感を持って分かることなのです。

これさえできれば、教育でできる支援方法は無尽蔵に作り出すことができます。

共感的な事例理解(児童・生徒理解)とは

さて、これまで述べてきた「支援者が子どもにより添う(1)~(4)」とは、一言で言えば、「共感的に理解する」という意味なのです。

教師は個別の相談を受けるわけではありません。集団を扱う教師の場合、全てのお子さんに対して深く理解することは容易ではありません。そこで、ここでは、「第一の原則:不快な感情を言葉で表現する」で、全てのお子さんに関わりながら、「第二の原則:場面と感情とが一致していないお子さんに注目し、さらに深く理解しようと考える」ことを提案しました。

そして、「第三の原則:どのような体験をしたのかを想像する」 ことで、その体験に迫り、「第四の原則:その場面で感じる否定的な自分への語りを想像する」で、その体験がお子さんの自己概念をどのように悪化させるのか を、実感して分かるという理解が必要であると述べました。これが共感的理解です。

とくに辛い体験をして、そのために苦しんでいるお子さんに接するときは、お子さんの味わっていた過去の苦悩について、あたかもお子さんの身になって理解しなければ、本当に適切に関わることができないのです。そのために必要な理解が、これまでに述べてきたことなのです。

「自己否定的な語り」とお子さんの振る舞いとの関連を吟味

お子さんの辛かった体験について、想像力を駆使して寄り添って理解していくと、お子さんの中に自己否定的な語りを想像することができると思います。その自己否定的な言葉が、目の前の場面にそぐわない感情や振る舞いを説明できそうかを考えてみます。

災害では、その圧倒的な自然の力の前で無力感を味わいやすいものです。そのために、次のように考えやすくなります。

「私はダメだ」「私は役立たない」「私は弱い」「私は力がない」

自分のことを、そのように考えていたとしたら、「失敗をした場面」「できない場面」「負ける場面」を脅威に 感じやすくなります。それを予測するような場合では、不安を抱きます。その不安から、前に出ることは嫌がるかも知れません。学習場面で目立たず、遅れず、 慎重な様子が見られるかも知れません。そこでの失敗が重なると、「どうせ自分は・・・」と考え、努力そのものを放棄していくことになる場合もあります。

「私が悪い」「私は愛されていない」「私は大切でない」「私は一人ぼっちだ」

また、転校や転居を含めて、知人との辛い別れを味わった場合は、別離の悲哀に関わって、このように考えやすくなります。

自分をそのように考えていたら、「無視されたような場面」「分かれる場面」「孤立するような場面」を脅威に感じやすくなるでしょう。それを予測するような場合では、それに不安を抱きます。周囲から嫌われないように、仲間にも大人にも合わせる傾向が強くなりがちにな るかも知れません。仲間と仲良くなりたいけれども、本心から仲間を信じることができず、親しい関係を作りにくくなっていくかも知れません。また、その面で のうまくいかなさが続くと、「どうせ自分は・・・」と考え、関わることを避けるようになったり、反対に自暴自棄の逸脱した関係を繰り返すようになっていっ てしまうかも知れません。

自己否定的な語りと反対の「自己肯定的な語り」を得られる体験を与える

さて、教師や集団を扱う支援者はカウンセラーではありません。躓きを乗り越えさせるのではなく、そのお子さんの力を伸ばすのが、本来の仕事なのです。否定的な考え方について焦点づけ、そこにアプローチをする必要はないのです。

では、どうすれば良いのか。その自己否定的な語りとは正反対の考えは何なのかを考えるのです。

それらは、たとえば、

■「私は私でいい」「私は役に立っている」「私は強い」「私は力がある」
■「私は良い」「私は愛されている」「私は大切にされている」「私は一人ではない」

このように思えることです。つまり、目の前のお子さんに、このように自分のことを言えるような体験を、活動のあらゆる場面で用意するように心がけること、これが教師や支援者が目指すことになります。

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以上をまとめると、こうなります。
1.学級の中で、困っていそうな子どもたち何人かを取り上げ、その子さんたちに共通にある「自己否定的な自分に対する語り」を想像で理解します。

2.その自己否定的な語りとは正反対の「自己肯定的な自分に対する語り」は何かを想像します。困っていそうな子どもたちに共通する「自己肯定的な自分に対する語り」を、1つか2つに定めます

3.その上で、学級の全ての子どもが、その1つか2つの「自己肯定的な自分に対する語り」を半歩でも一歩でも高め、強められるように、あらゆる教育の機会で与えるようにしていくのです。
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DSC02396
みどりの東北元気キャンプ 2016年8月

災害時に寄り添う|支援者が寄り添うとは(1)

災害時に寄り添う|支援者が寄り添うとは(2)

災害時に寄り添う|支援者が寄り添うとは(3)

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cocorocare大学教授・NPO法人元気プログラム作成委員会理事長
NPO法人元気プログラム作成委員会理事長。カウンセリング研修センター学舎ブレイブの運営をしています。大学で教育臨床心理学を教えています。教育相談の面接を35年以上してきました。 公認心理師、臨床心理士、学校心理士、カウンセリング心理士(認定カウンセラー)です。カウンセリング心理士のスーパービジョンの資格もあります。臨床経験ですが、1時間の対面相談だけでも2万時間以上の面接を重ねてきました。 一緒に悩みの解消を考えていくカウンセリングスタイルが基本です。市町や学校単位で不登校を減少させる取り組みも18年ほど取り組んできました。クライエントさんの意志を尊重しつつ、必要とあれば、PTSDの解消にはEMDRを用いたり、アクティブテクニックとして認知行動カウンセリングを用いたりします。