この記事は、もともと教師向けに書いたものです。東日本大震災後1ヶ月後に「先生のための電子メール相談」のHPのコラムで書き、さらに、熊本地震後に書きかえています。今回は、それを元に、コロナ禍を意識して再構成しました。
今、私たちは、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)と称する災害の真っただ中にいます。教師など支援者としてお子さんに関わるとき、目の前のお子さんのことをどう理解し、どのようなこころ持ちで、どのように関わろうとしたらよいのでしょうか。この記事は、生活を共にしながら日常的に子どもを支える教師などの子どものお近くにいる支援者に向けたものです。
災害時、その災害がお子さんたちにもたらした恐怖や不安について想像しましょう
東日本大震災は、日本中の子どもたちに、大きな影響を与えました。また、熊本の地震でもそうでしたが、同じ地域にいて、仮に同じ家族の中でさえも、一人ひとりが体験したことは違います。同じ地域で同じような被害を受けたとしても、それどころか、同じ部屋で一緒にいて被災したとしても、そこで感じたこと、考えたことは、まったく違うはずです。コロナ禍による災害も同じです。
相手が体験したであろうことを、どこまで想像力を持って分かるのかは、たやすいことではありません。
そこで体験したことがスザマジイ場合ほど、辛い場合ほど、それを言葉にはできません。そこで感じた恐怖や不安ですら、感じないまま氷の塊のようにして、脳の 中に閉じ込めていることもあります。表面的な事実は語れても、そこで何を感じたのかすら覚えていないかも知れません。その事実すら覚えていないことも、たくさんあります。子どもも大人もそうです。
思い出すのを脳がブレーキをかけている
しかし、これは、覚えていないのではありません。今は、忘れているように、脳が必死に思い出すのを抑えているからです。
パニックになって、目の前のことができなくなるのを、必死に抑えているのです。
このブレーキが過熱して起きるのが、被災地で最初に起きやすいのは、身体の不調です。
事実を知らないと分からないと言います。そうでしょうか?事実が分かれば、相手が体験したことを分かることはできません。しかも、事実は簡単に語れるものではありません。どんな気持ちだったのかを、尋ねても納得できる答えは得られません。脳が感じることにブレーキをかけているからです。被災時や被災が終了してからの復旧の段階では、ブレーキを外そうとしてはならない時期があります。
語らせようとしない。無遠慮に踏み込まない。そっとしておかない
ですから、お子さんに気持ちを無理に語らせようとはしないでください。語れないのです。
無理に、こう感じているんでしょう? などと 無遠慮に踏みこまないでください。
絵や作文などで、今、書かせることはやめてください。ブレーキを外そうと無理をさせることに相当します。自分から自然に絵などで表現するのは、良いのですが、強制はしません。
だったら、そっとしておくのでしょうか。 そっとしておくのではありません。
それは、お子さんのことを配慮しているつもりでしょうが、それは、関わる側に、不安や緊張が高まっていることをお子さんに伝えることを意味します。 そおっとしておくという配慮は、お子さんの不安や緊張は高めますので、逆効果になります。
では、何をするのでしょうか。
徹底的により添って理解し、本人が伝えたいことを言葉で代弁する
何かの事実を聞いたら、どんな感情や、どんな考えがお子さんを支配しているのかを、想像力を駆使しながら、徹底的により添って理解しようとするのです。
そして、
目の前のお子さんが、感じていることが、瞬間にでも表情や行動が見えたときに、
★そのような体験をしたお子さんが今伝えたいであろうことを、言葉で代弁するのです。
これは、とても難しい作業ですが、どのようにこれを行うのか、そして、学校の先生がこれを行う上で、どのような構えや姿勢が必要になるのかを、お話していきたいと思います。この話は、続きます。
災害時に寄り添う|支援者が寄り添うとは(2)
災害時に寄り添う|支援者が寄り添うとは(3)
災害時に寄り添う|支援者が寄り添うとは(4)
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