Cocorocare です。
今回は、通常のストレス反応と、PTSD(心的外傷後ストレス障害)との違いを考えます。
「コロナ禍のこどものこころのケア|ストレスって何?」の記事の中で触れましたが、PTSDは「外傷的なできごと」の影響で起きる症状です。ですから、「外傷的なできごと」は、ストレッサーの一種と言え、PTSDは、ストレス反応の一種と言えます。しかし、PTSDの症状が生じるときに、脳は通常のストレス反応の場合とはまったく異なる動きをします。その結果、通常のストレスへの対処ができなくなってしまうことがあるのです。
PTSDの診断基準ーDSM-5から…
どのような症状があるとPTSDであると言えるのでしょうか?
具体的な症状は、DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル第5販;Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition)の診断基準を、末尾の【参考】に示しました。より詳しく知りたい場合は、DSM-5の「精神障害/不安症群とストレス因関連障害群/心的外傷後ストレス障害」をご覧ください。
DSM-5では、PTSDの症状には、4つのカテゴリーが設けられています。「侵入症状」「回避症状」「 認知および気分の陰性の変化 」「 覚醒度と反応性の著しい変化 」です。
侵入症状
トラウマとなった出来事に関する不快で苦痛な記憶が突然蘇ってきたり、悪夢として反復されたりします。また思い出したときに気持ちが動揺したり、身体生理的反応(動悸や発汗)を伴います。
回避症状
「外傷的なできごと」に関して思い出したり考えたりすることを極力避けようとすることや、思い出させる人物、事物、状況や会話を回避したりします。
認知および気分の陰性の変化
否定的な認知(考え)を持ちやすく、興味や関心が喪失したりします。周囲との疎隔感や孤立感を感じるようになります。また、陽性の感情(幸福、愛情など)がもてなくなります。
覚醒度と反応性の著しい変化
いらいら感、無謀または自己破壊的行動、過剰な警戒心が増したり、ちょっとした刺激にもひどくビクッとするような驚愕反応や、集中困難になったり、睡眠障害がみられます。
末尾の【参考】には、この4カテゴリーの診断項目があります。末尾のカテゴリーの項目をクリックすると、診断基準が現われます。
実際の診断では、これらの4つの各カテゴリーに含まれる症状を1~2項目以上を満たす必要があるとされます。加えて、それらの症状が著しい苦痛を引き起こしていること、または社会的もしくは職業的機能を著しく障害している必要があります。さらに,物質または他の身体疾患の生理学的作用が原因ではないことが必要です。
ただ、4つの診断カテゴリーを見ると、初めて見る人にとっては、いろいろな項目が混在していて、分かりにくいかも知れません。
普通のストレスを脳はどう処理するのか?
ストレスコーピング理論を紹介した際に述べましたが、外側の脅威をどのようなものとして「評価」するのかによって、ストレス反応は違ってきます。
……たとえば、草むらから、黒い大きな動物が躍り出たとしましょう。
その刺激に対する「評価」には、2つのステップがあります。「一次的評価」と「二次的評価」です。
五感を通して取り込まれた刺激情報(ストレッサー)が、害のある悪い刺激か、無害な刺激なのかを判断することから「一次評価」が始まります。環境から刺激を受けると、「偏桃体」と呼ぶ脳の原始的な部位が反応します。「おや、何だ?」と身構えさせるのです。「偏桃体」は、「頭を働かせてそれが何かを判断しろ」と脳に火を点けます。身体には、「緊張しろ!」とストレスホルモンを発射します。
ほぼ同時に、「海馬」という脳の部位も動き始めます。これは、記憶を司る部位です。「海馬」は、自分の体験や知識の中で、目の前の刺激が有害か無害かを見極めるためのグーグル検索を始めます。目の前の刺激が何であるのかについて、五感を通してより多くの情報を得て、分析し、状況を見極めて、判断を確実なものにしようとします。たとえば、「熊だ!」と見極め、有害で脅威のあるものだと評価するのです。ここまでが「一次的評価」です。
偏桃体: 恐怖反応の条件付けをするものです。ストレスホルモンのカテコールアミンを生産します。低・中レベルで海馬の動きを促進し、高レベルで海馬機能を抑制
海馬は:記憶の空間時制の地図を提供するものです。単純記憶の創造、複雑な記憶の組織化と索引づけ、陳述記憶の創出などを行います。
続いて、「二次的評価」が始まります。ここでの評価は、自分がそのストレッサー、外部刺激の情報に対処できるか否か、「どうしたらよいのか」を考える段階です。大脳新皮質が猛烈に働きます。対処できるコーピングスキル(対処技能)の中から最適手を、頭をフル回転させて記憶の中から探します。数あるコーピングスキルの中のどれを選択するのかを分析し、決断、そして実行へと進みます。自然界の動物は本能によって対処行動で定まっている部分も多いのですが、人の場合、その判断は、それまでの学習の記憶に頼るところも大きいでしょう。
さて、そのストレッサーへの対処がうまくいき、ストレス反応が抑えられれば、やがて興奮が収まり落ち着きます。その一連の流れを学びとして記憶していきます。記憶の情報処理が進みます。どのようなストレッサーに、どのようなコーピングスキルを用いたら、どのような結果が得られたのかを記憶し、次回に似たようなことがあった場合に、スキルを思い出しやすいように記憶を整えるのです。
PTSDになるとき、脳で起きていること
PTSDでは、心理的な症状として、記憶面、行動面、認知面(思考やイメージ)、情動(感情)面、生理反応面でダメージを被ります。
それが、どのように生じていくのかの仮説をお伝えします。何せ、脳の中で起きていることなので、すべてが解明がされたことではありません。
※脳の情報処理を妨害する恐怖
「過度の覚醒」(恐怖や苦悩)を体験すると、生き物の持つ利用可能な反応を組織立てる能力、とくに、ストレスに対処する能力を圧倒します。そのため、情報処理が妨げられてしまいます。
適度に覚醒するとき、脳は順調に働きます。不安や緊張、怒りや喜びなどは適度にあった方がよいのです。しかし、死ぬのではないかというほど恐怖の伴う「外傷的なできごと」の記憶は、その人の限度を上回る過度な恐怖や苦痛が生じた痕跡なのです。
恐さや驚きを感知するのは、脳の奥深くにある「偏桃体」と呼ぶ部位です。これは、恐怖や不安が中程度まではよく機能します。けれども、あまりに強い恐怖や不安を生み出す刺激が入ると、十分に機能しなくなるのです。「偏桃体」は外部情報の入り口にあり、脳を働かせる「最初のスイッチ」です。この入口で、あまりに覚醒が強くなり過ぎないように調整されます。
その「偏桃体」を通過した刺激は、「情動」を発生させる大脳基底核に達します。情動は喜怒哀楽のような感情の元素ですが、脳を働かせる「第二のスイッチ」でもあります。「偏桃体」からの信号は、情動を生み出す大脳基底核に届くと情動を発生させるのです。情動は、表情筋を即座に動かします。
そもそも 情動は、発達・学習に伴って、生き物自身と社会環境(つまりは仲間)に対して、生き物の内的な状態に関する情報を伝達するものなのです。それは、自分の欲求を仲間に伝え、仲間から自分が求めるものを得ようするために働いているものです。
人がまだ猿であったころ、言葉を持つ前から、表情は仲間とコミュニケーションを取るための重要な機能を担っていました。情動が発生し、表情が動きます。情動が発生しなければ、意識もできず、目的のある行動もできず、記憶もできません。
※脳の記憶の処理を不調にする過度で調整不能な恐怖
いよいよ脳が事態の打開のために大脳新皮質を働かせ始めます。しかし、その恐怖や苦悩を調整できない壁にぶつかるときがあります。このことが「外傷的なできごと」の記憶に繋がるのです。あまりに恐いことだったので、「外傷的なできごと」の記憶を、脳がうまく通常の記憶の認知地図の中に情報処理をしきれないままに終わってしまうのです。
あまりに恐い記憶が大脳新皮質に送られてくると、脳の情報処理が妨げられるので、それ以上に過剰な反応をしないように、脳に急ブレーキがかかります。このとき、情動の「恥」がブレーキ役を果たします。
「恥」は快適であれ、不快であれ情動を「感じないようにする」機能を持つと言われています。覚醒を抑え、大脳新皮質の活動を抑えて、それが暴走しないようにするのです。恥の情動は、脳のブレイカーを落とすと言っても良いかも知れません(脳の中央抑制機構と呼びます)。
過度の覚醒(恐怖と苦悩)と中央抑制機構の発動が組み合わさると、覚醒が抑制され、情報処理システムが妨げられてしまいます。その結果…以下のことが起きます。
適切な行動によって恐怖や苦悩を調整できない場合、その生き物は中央抑制機構(恥の情動)を使い、その覚醒を抑制しようとする(Nathanson,1997)。
目の前で展開される危機的な状況を打破するために、刻々と変わる今のここでの状況に全集中しなければなりません。そのためには、脳をクールダウンさせないといけません。命に関わるほど恐いことなのですから・・・。
そのために、恐さを感じる「偏桃体」が過覚醒にならないように第一のスイッチにブレーキをかけます。それでも、脳が恐怖や苦悩を調整できないとなると、感じ過ぎないようにと、「恥」のブレーキ板を作動させるのです。
第一のブレーキで入力を抑制した上で、さらに、第二のブレーキで情動が過剰に反応しないようにします。そこで、外側から入った「危険だ」という情報は、「偏桃体」に跳ね返って、身体に向けてのストレスホルモン発射を加速させます。このことが、生理反応に強い影響を与えます。これが中枢神経系の不安定さを生み出します。PTSD症状の「 覚醒度と反応性の著しい変化 」の症状と関連する身体感覚の記憶を生み出すのです。
その後、一連の恐怖体験が過ぎ去った後で、脳はいつもの通り、今回あったできごとを記憶に残そうとします。ところが、PTSDでは、記憶の情報処理が十分になされず、情報をうまく収納できなくなります。これが、PTSD症状の「侵入症状」のカテゴリーと関連する大量の過剰緊密(記憶過剰や侵入連想)や秩序転置(健忘や解離)などの症状を生むようです。
なお、記憶関連の症状で言えば、 DSM-5では 「外傷的出来事の重要な側面の記憶障害(解離性健忘)」は、「認知および気分の陰性の変化」のカテゴリーに含まれています。これは、「外傷的なできごと」発生中に「海馬」が十分に機能しなくなった問題のように思われます。「海馬」は記憶の認知地図を司ります。そのとき、目の前の情報処理に全精力を傾けていたので、記憶のネットワークを構成する余力が「海馬」には残されていなかったからなのかも知れません。
さて、カテゴリーの「認知および気分の陰性の変化」に示される症状の多くは、PTSD症状に苦しんだ結果、生じるものが多いように思われます。気分が晴れないことなどの苦しみが続くのは、「外傷的なできごと」ことの意味や定義、原因帰属(なぜ、このようになったのかという考え)などと関連しているものと言えます。
また、「回避症状」ですが、動物が命の危険に見舞われたときには、「逃げる」「闘う」「固まる」の3種類の行動パターンを取ります。通常、この順番で対処をするのが延命のためには賢い方略です。ですから、不快に感じた場面を思い出させるものを避けるのは、むしろ自然なことであるかも知れません。ただ、数か月以上を経ても「回避症状」が強くある場合では、症状を持続させるように働く恐れもあります。
これがPTSDの症状なのです。
Nathanson, D. L. (1997). Affect theory and the compass of shame. In M. R. Lansky & A. P. Morrison (Eds.), The Widening Scope of Shame. Hillsdale, N.J: Analytic Press.
【参考】 DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル第5販 より
DSM-5の第一の目的は「熟練した臨床家」の「精神疾患の診断を助けること」と「治療計画につながること」だと書かれています。熟練した臨床家により、診断基準の一つとして使用されるものです。ですので、一般の人がDSMの診断基準を見て、安易に自己診断に用いることはお控えください。
DSM-5の診断基準は「障害の包括的な定義を構成するものではなく」、各障害は「短い要約ではとても描ききれないほど認知的、情動的、行動的、生理学的過程が複雑にからみ合っているもの」です。
- 反復的,不随意的,侵入的で心を乱す記憶がある
- 外傷的出来事に関する心を乱す夢(例,悪夢)を繰り返し見る
- 外傷的出来事が再び起こっているかのように行動したり,感じたりする
(フラッシュバックの体験、現在の周囲環境に対する認識の完全な喪失まで) - 外傷的出来事を思い出す際(例,記念日,できごと発生時のときの刺激記憶…聞いたものに似た音など)によって強い心理的または生理学的苦痛を感じる
- 外傷的出来事に関連する思考,感情,または記憶を回避する
- 外傷的出来事の記憶を引き起こす活動,場所,会話,または人を回避する
- 外傷的出来事の重要な側面の記憶障害(解離性健忘)
- 自身,他者,または世界に関する持続的かつ過剰な否定的確信または予想
- 自身または他者を責めることにつながる心的外傷の原因または結果に関する持続的な歪んだ思考
- 持続的な陰性感情の状態(例,恐怖,戦慄,罪悪感,恥辱)
- 重要な活動における関心または参加の著明な減退
- 他者からの孤立感または疎遠感
- 陽性感情(例,幸福感,満足感,愛情)を経験できない状態の持続
- 睡眠障害
- 易怒性または怒りの爆発
- 無謀または自己破壊的な行動
- 集中困難
- 強い驚愕反応
- 過度の警戒心
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