この記事は今から10年近く前の2011年4月に配信したものです。私は今回の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)は、世界的な災害だと考えています。自分が被災したとき、被災者だとの自覚はなかなか得られないものです。
311のとき配信した記事を書き直すことも考えたのですが、アーカイブ記事として、そのままここに収録することにしました。今回の災害に合わないことも多々あります。しかし、これを読み直して、今、学校に求められていることには、まったく違いはないと思います。
「震災」や「津波被害」をコロナ禍と読み替えて読んでいただきたいと思います。
新しいステージが始まりました
先生ができる子どもの心のケアは、学校の中で発揮されます。福島県では、すでに先週には学校が開始されていました。宮城県も、学校が再開されました。本当によかったと思っています。報道によれば、60名学級でスタートしたところもあり、110校の学校は、他の学校でのスタートだと聞きます。
新しいステージが始まったのです。
春休みにすぐに入ったこと
今回、子どもの心のケアの点では、タイミングが悪いときに災害が起きてしまいました。学校がすぐに春休みに入ってしまったからです。年度が変わる時期だったのです。
阪神淡路大震災のときの研究によれば、学校が避難所となった場合が圧倒的に多かったのですが、その避難所で、学校のスペースを確保し、子ども同士でいる場合ほど、そして、学校の機能が早く回復した場合ほど、子どものその後の心の健康が良かったとのデータがあります。
しかし、今回の大災害は違います。災害後に、学校はすぐにお休みに入りました。そのために、学校に子どもを呼び寄せることができませんでした。1カ月経過しましたが、学校が始まっていないがゆえに、時間は311のまま止まってしまったのです。子どもたちは、自宅や避難所で、普段の時間とは違う時間を過ごすことを強いられました。学校は自分の成長と、仲間の支えを感じられる場です。教師が安全・安心を約束する場です。そこが開かれなかったのです。
もう一つ、今回の大災害のタイミングの悪さは、年度が変わったことにあります。学級編成替えなどで、担任が変わった場合では、お子さんの前の様子を新担任は分かりません。しばらくの長期の休みの間のお子さんに変化が分からないのです。夏休みなら、担任は変わりませんが、以前に比べて、今がどうかが分かります。これは、お子さんの心の変化を知る上で重要な情報なのですが、それが難しい場合が増えてしまっているのです。
心のケアは安全・安心の確保から始まる
子どもに限りませんが、心のケアは、安全、安心が確保されて始めて、本格的にスタートを切ることができます。危機の中では、親子一緒にいることが一番の安心でしょう。けれども、子どもが安心な状態とは、「親子が一緒にいなければならない」と思う必要がなくなることです。安心・安全とは、災害前の生活の時間が回復し、かつてのように時間が流れていくこと、平凡な日常が復活することに尽きるのです。子どもにとっては、その象徴が学校の再開です。 大人にとっては仕事の再開です。
これは、福島で、学校開始後に避難所を訪れたときに強く感じたことです。その2週間前に比べて、子どもの活動が急に活発になっていたのです。お子さんたちは元気に遊んでいましたし、親御さんもニコニコと談笑している姿が見受けられました。全体の雰囲気が大きく変わったのです。
避難所の統括の方は、「学校が始まったので、子どもたちは何だか希望がわいて元気なんですよねぇ」「学校が珍しいんですよ」「親御さんも自分の時間ができたので、手分けして街に行けるようになりましたし、積極的に外に行こうという話になっています」と語っていました。
そうなのです。親子が離れた時間を作ることで、保護者にも心の余裕ができるのです。子どもにとっては、自分の知る仲間と顔を合わせること、いままで通りに勉強ができること、遊ぶことができること、今は、何よりもそれらが安心・安全を感じる縁(よすが)になっていきます。
一人ひとりのお子さんが、何を感じ、何を考えたのかを想像を豊かに考えましょう
災害の程度にもよりますが、 学校の中で出会うそれぞれのお子さんが味わった苦悩がどのようなものあったのかを、それとなく知ろうとなさってください。これは、興味本位で調べるのではありません。
そして考えます。「どのようなことを味わったのだろうか」です。そこでの感覚を自分の中心に置きます。津波被害地域はとくにそうなのですが、お子さん一人ひとりが体験したことは、道路を隔てただけでもまったく違います。仮に無傷の場所にいても、親戚や肉親を失っているお子さんもいることでしょう。親友や知り合いを失ったお子さんもいると思います。
特別支援教育に学ぶべきこと
基本的には近いのは、不登校のお子さんが登校をしてきたときや、発達に偏りがあって特別な配慮が必要なお子さんをクラスで受け入れたときに近い感覚で、多くのお子さんに接していっていただきたいのです。できない話ではありません。
都内などでは、サポート校のように、不登校体験のあるお子さんだけを受け入れている塾はたくさんあります。通信制の高校も多くの不登校のお子さんを受け入れています。その先生方が配慮をしている程度の配慮を、今、行っていただきたいと思います。普段、長期欠席のお子さんがいない学級、仮に不登校のお子さんでも、いつの間にか教室に来るようにしてしまう学級を運営してきている 先生は、自然にそれができるであろうと思います。
以下に述べることは、学校全体でこのように配慮する先生が多いほど、長期欠席が減少するということが証明された関わりです。特別のことをお願いするのではないのです。不登校のお子さんを一人も担当した体験がない先生には、当たり前のことばかりです。そのような先生は、普段通りに学級の運営をしてくだされば、それで大丈夫だと思います。
学級の中で辛い思いをしているお子さんでも快適に感じる学級を作る
今回の大災害は限らず、どのようなお子さんにとっても、進級することは、学年が変わり、担任が変わり、仲間が変わり、自分の心構えが変わるということです。これ自体、大きな出来事です。それだけでも、相当の量のストレスがかかっています。その背後に、震災被害があれば、これは大変なのです。進級や転校を機に学校に行けなくなってしまうお子さんも、不登校体験者の1割を越えていますので、決して少なくありません。
まずは、辛そうなお子さん数名に注目します。そのお子さんたちが、どのような環境が良いと感じるのかは、その子自身の感じ方によります。ですので、一概にこのやり方がよいというものはありません。今回の場合少なくとも、「大変な体験をした子」という形で、大げさに扱われるのもつらいでしょうし、災害のことに 全く触れられないというのも逆に落ち着かないかもしれません。
もしもできるならば、お子さん一人ひとりにどの程度災害の状況 にふれてよいのかを、さり気なく聞けるとよいように思います。教師自身が、その一人ひとりの辛さに応じて、お子さんへのかかわり方のモデルとなるようにしたいところです。接し方を、クラスの子どもたちに見せていくこ とも大切なことになるでしょうね。
ただし、今回気をつけなければならないことは、災害がさほどひどく受けていないと思われる側の子どもたちも一人ひとりが、大きく傷ついていることです。日本にいる限り、震災で多かれ少なかれ、現在も日本人は大きな不安の中にいます。また、保護者も教師も傷つきと不安を抱えている点です。
そのことをふまえた上で以下のことに、気をつけてかかわっていただけるとよいと思います。
一人ひとりが、安心をしていられる場所を作る。
安全であること安心であることが保障されているクラスであることはとても大切なことです。そこにいても傷つけられない。比べられない。「あなたはあなたのままでいてもよい」というメッセージがクラス一人ひとりに伝わることを基本に据えます。
それは、学校の様々な場面で伝えることができるのではないでしょうか。
朝 笑顔で迎えてもらえる。授業中に間違うことができる。失敗が決してマイナスでないことを教えてもらえる。休み時間に一人ぼっちではない。また、一人でいた いときには、そこにそうしていて良いと保障されている眼差しがある。給食を落ち着いて食べることができる。明日もまた会いたいなというメッセージを帰りの 会でもらえる。など、「あなたがたいせつ」「あなたがいてくれてうれしい」「あなたにであえてよかった」と思うことのできる機会をたくさん用意したいので す。一人ひとりがみんな特別扱いを感じられるかかわりができるとよいように思います。
被災の軽重にかかわらず、全ての子どもにとって、心地よい学級であることは大切です。「わたしも良い、友だちも良い」かかわりや、問題解決の方法を目指したいと思うのです。
こども自身の好きなこと、得意なことでつきあう
子どもたちは、共通の遊びや話題を見出して関係を作っていきます。そのことを使って教師は意図的に子どもたちのかかわりを作っていくことができます。特に学期の始まりであれば、自己紹介カードなどを使って好きなこと得意なことを知る機会にもできるでしょう。学級活動の中では、この時期はかなり意識的に人間関係を良好にするような教育プログラムを導入するようにしていただけたらと思います。
授業の中でも、子ども同士の発言が繋がるように、丁寧にお子さんの発言を取り上げ、しっかりと子どもの意見や話を聞く授業を心がけていただきたいと思います。休み時間は、先生はできるだけ教室にいて、お子さんと遊ぶようにできたら良いですね。そのためにも、教師に書類作りはさせないように、行政、管理職は配慮してください。
一人ひとりに活躍の場がある
全てのお子さんに活躍の場を与え、クラスの中のポジションを作っていくことはとても大切なことです。しかも、そのことはクラスの中の人間関係にも影響を及ぼします。誰かの活躍を「すごい」と認められる後ろには、「自分の活躍も認められているので」という思いが必要ですね。授業中はもちろん、係活動や行事の中で、クラス一人 ひとりの活躍の場を保障していくのが教師の勤めであると思います。帰りの会では、教師も仲間も互いに、互いの活躍をシェアするようなことは、意識して行う必要があると思います。
不安や緊張や怒りや嫌悪などの不快な感情を言葉で表現するのを手伝う
被災地に限った話ではないのですが、今の日本の子どもたちは、今、周りの大人たちの不安や緊張、心配を傍らでたくさん感じながら、過ごしています。親御さん、ご兄弟、ご親戚を津波で亡くしたお子さんもいます。自分が笑うと、おとなが嬉しそうにしている、おとなが元気になる、ということを無意識に学んでいれば、辛いことも悲しいことも、押し殺し、我慢してニコニコ過ごしているかもしれません。「ニコニコしている。だから、大丈夫」は間違いです。
表情の中に、淋しさや辛さや哀しさや恐さがうかがえたときは、その表情から、「淋しそうな顔をしているね」「辛そうな顔をしているね」「悲しいのかな」「な んだか心配かなぁ」と、お子さんたちが感じている不快な感情を言葉で伝えてください。
これは、どのお子さんにも必要なことです。これを言葉で伝えること で、子どもは、自分の不快な感情を先生は受け止めて貰えるんだと感じ、安心感を得ることができます。その時に、先生は、お子さんよりも、不安定になっては いけませんが、お子さんと一緒に涙したり、「悔しいよね」と一緒に怒った素振りをすることを行ってもよいでしょう。
これができるようになるためには、一日に何度か、教師としてのエネルギー、明るさを絞ってみてください。それを絞ると、暗い表情や辛い表情や不快に感じていることが見えてきます。エネルギーが強いと、お子さんの中の辛さが見えてきません
家族を支える
本来ならば、エネルギーを蓄える場であるはずの家庭ですが、家族一人一人も大きな傷つきや不安をもっています。ですので、保護者の方が子どもたちからよりも、むしろ相談に来られる機会は多いかもしれません。学校に些細なことでクレームを言ってくることも多くなるはずです。余裕を皆失っているのです。
皆が不安な のです。悪いのは保護者?いえ、不安が強いのです。学校を頼りたいのです。学校への願いと期待が強まっているのです。ありがたい話です。ですから、その願いと期待をしっかりと受け止めるようにしましょう。
同僚の教師同士で支え合う
学校の先生全員が、傷ついた子どもに温かく接するという基本的なかかわりが重要であると理解することが、今、一番、大切なことだと思います。教師は余裕を失うと、叱咤激励する悪癖があります。「そんなことでどうする!」「しっかりしろ」と声を大きくすると、そこが生み出した緊張感、不安が悪影響を及ぼしていきます。
傷つきや不安をもった子どもたちやそのご家族を支えていくということは、とても大きなエネルギーと余裕が必要な作業です。決して教師が一人で抱え込むことのないようにしていただきたいと思います。
本教師相談のホームページにあるコラムを印刷・配布なさり、先生たちの足並みをそろえてくださいね。そして、先生たち自身も傷を負っていることを理解し、支え合っていただけたらと思います。そのようなかたちで、コラムをお使いいただけると幸いです。
互いに支え、助け合える学校・学級を作っていきたいじゃないですか。
と くに、大災害は、先輩の先生方にとっても、経験のないことです。校内の先生方が、手を繋ぎ、少しず つの知恵を出し合い、心を寄せ合って、子どもを温かく包んでいきましょう。
私どもスタッフ一同、それを願ってやみません。
以上のことが、学校全体でできることが、被災地のお子さんの心のケアの基礎基本になります。
どのようなお子さんを担任しても、不登校にしない先生や、発達障害のお子さんをかなり学級の中にいても、学級経営で立ち止まったことがない先生には、当たり前のお話です。山が高いのは、全ての教師がそれを目指して、手を携えて歩けるようになることです。これができるかできないか、それによって、半年後、1年後、10年後のお子さんの未来が違ってくるのです。
重要なステージが、今、始まったのです。
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