不登校になった結果、不登校は継続する
一度、不登校が始まると、新しく不登校を継続させるメカニズムが生まれます。そのために、不登校が本格化し、問題が長期化しやすくなるのです。これは、繰り返し伝えていることですが、不登校が生じるメカニズムと、不登校が維持、悪化するメカニズムは異なった次元で生じます。
この記事では、不登校が維持、悪化するメカニズムを、感情面、行動面、思考面(「認知面」と心理学者は言います)の三側面に分けて述べていますが、ここでは、思考面での悪化のメカニズムを述べます。
ただ、これらは、一人の子どもの中で同時に起きることをお話している点にご注意ください。それらの3種類の悪化が、欠席を続けさせるように相互に悪影響を及ぼす悪循環を作り上げてしまうのです。
不登校についての子どもの自己評価
これまで、2つの記事で以下を説明してきました。
■不登校が続くと、感情面は悪化するので、学校を不快に感じる程度は強くなり、不快に感じる対象が広がる。
■不登校が続くと、行動面も悪化し、登校のしにくさが強まる。
その中で、子どもが「学校に行きたい」「学校に行った方がよい」「学校に行かねばならない」と考えているとどうなるでしょうか?
日々学校が嫌に感じるようになっていき、嫌だと感じる対象も増え、学校への行きにくさが強まることを次のように評価するのは自然のことのことでしょう。
❖できない = 自分は愚かだ・賢くない
❖どうしようもない = 自分は弱い・非力だ・無力だ
❖どうせ…私なんか… = 自分はダメ
❖私が悪い
不登校についての否定的な評価が強まれば、感情面にますます悪影響を及ぼします。結果、不登校状態からの回復からは遠ざかることになりかねません。実際、熊谷で不登校対策を行っていた際に、学校への登校に積極的な姿を見せる子どもほど、不登校状態から改善しないことが示されていました。
小林正幸・小野昌彦「不登校ゼロへの挑戦」
以上のことが、不登校を維持、悪化させる大きな要因になります。不登校になった結果、不登校である自分を傷つけるように作用していくのです。
体験の記憶で「タグ」として働く言葉(できごとの評価)
一方、別の記事で、不登校の子どもに関わるには、学校での不快な体験の記憶が起こす不安があると理解する必要があることを述べました。
なにせ、脳の中で起きていることです。「記憶」のメカニズムは、まだ解明が不十分ですが、脳がどのように記憶し、その記憶したことをどのように思い出すのかについては、医学や心理学などのさまざまな領域で研究が進んでいます。
インターネットで、「タグ(=tag)」という言葉があります。荷札や付箋といった意味を持つ単語です。これは付加情報(周辺情報)につける目印のことです。その付加情報にタグをつける作業は「タグ付け」とも言われています。グーグル検索など、検索作業がスムーズにいくのも、「タグ付け」がされているからで、それがあることで、探し出しやすくなります。
脳内でも、とくに、何かを体験したできごとの記憶には、「タグ付け」が行われやすいことが分かってきています。何かのできごとを体験すると、脳内で神経細胞が活発化し、それが記憶として保存されます。これは「エピソード記憶」と言われるもので、長期記憶の1つです。
インパクトのある大きなできごとを体験すると、その前後に起きたちょっとしたできごとにも通常よりも多くの「タグ付け」が行われます。そして、中心的な出来事と一緒に「長期記憶」として保存されやすくなります。インパクトのあるできごとだからこそ、素早く思い出し、次の機会に備えるように脳は工夫をするようです。これは動物実験でも証明されています。
個人的な体験の記憶、エピソード記憶は、その時間や場所、感情などは「タグ」となりやすく、思い起こしやすくなります。思い出す機会が増えるので、長い期間、記憶に残ります。学校で学んだことを忘れても、学校生活の印象深いできごとをいつまでも覚えているのは、そのような理由からです。
記憶の「タグ」で、検索に一番役立つのは、「感情」の記憶と「映像(視覚)の記憶」です。その他、五感では「聴覚記憶」がそれに続きます。「嗅覚」「味覚」「触覚」はあまり「タグ」には用いられませんが、これが「タグ」として残るとすれば、それは相当に印象深い記憶ということになります。「感情」と繋がりの強い「身体の感覚」もタグになりやすい性質を持っています。不快な体験では、不安や恐さの「ドキドキ」や「緊張による筋肉のこわばり」「内臓の変化」もタグになりやすいものです。
その体験を思い起こしたとき、人はその体験を改めて評価します。大きくは、思い出したときに感じる感情で価値づけます。そこで思い起こされる感情は、快適な体験か不快な体験かに大きく分かれるでしょう。
不登校の自己評価と学校での不快な体験の「タグ」の結合
さて、不登校では、学校での不快な体験の記憶があります。その体験を思い出している最中に評価すること、すなわち、これが思考です。思考は言葉で成り立ちます。この言葉が、「タグ」として作用します。学校での不快な体験は、友達との関係、学業面での躓きと教師との関係ですので、次のような「タグ」が言葉として付けられやすいと言えるかもしれません。
友達関係や学校の先生との関係では、「自分は嫌われている」とか、学校で孤立したような場合では「独りぼっちだ」と思いがちでしょう。何かの活動での失敗をして、それを悔やんでいるような場合では、「役に立たない」と思いやすいかも知れません。また、いじめられ体験では、「私が悪い」と周囲から思わされる体験になりがちです。
いくら勉強しても、学業面や部活動などで、うまく課題を乗り越えられないと感じているときには、「賢くない」と思いやすいでしょうし、そのことへのダメ出しが続いていたとしたら、「自分は非力だ」「自分は無力だ」とか思いやすいかも知れません。そして「自分はダメ」という「タグ」とも結びつきやすくなります。
❖自分は嫌われている=愛されていない・認められない
❖役に立たない
❖独りぼっちだ
❖私が悪い
❖できない = 自分は愚かだ・賢くない
❖どうしようもない = 自分は弱い・非力だ・無力だ
❖どうせ…私なんか… = 自分はダメ
記憶のネットワークは感情と言葉のタグで結ばれる
記憶は必要な情報を素早く思い出すために、関連する体験記憶をイモヅル式に引き出せるように、類似した「タグ」をネットワークで結びつけるようにしています。そのネットワークづくりに大きな役割を果たしているが、体験したときに感じた「感情のタグ」と、その感情を引き出しやすい「言葉のタグ」のようなのです。
これまで、不登校のきっかけとなったできごとの評価で生じた「タグ」と、不登校の結果生じた「タグ」との結びつきを述べてきました。しかし、そのお子さんが生まれてから過ごしてきた体験、成育歴の中に、これらの「タグ」と関連性する「タグ」が数多くあったとしたら一体どうなるでしょうか?
不登校になった自己評価で傷ついたことと、不登校のきっかけで傷ついたことと、これに加えて、生まれて以来傷つき続けてきたこととが、イモヅル式に繋がってしまうのです。体験で作られた「感情」のタグと、それに伴う否定的な自己評価の「言葉」のタグが、大きな三重のネットワークを作り上げてしまうのです。これは避けたいことです。
覚えておきましょう。人は打たれ強くはありません。打たれれば打たれるほど、打たれ弱くなります。傷ついた体験があれば、それはしっかり癒された体験へと繋いでおかなければなりません。辛い体験を乗り越えるとは、その体験を否定的な自己認知に結び付けないように評価できるようになることなのです。
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