保護者が感情を受けとめる
2021年5月8日にNPO法人元気プログラム作成委員会の総会が行われました。その後の正会員限定の研修会でお話したことに解説を加えて、4つの記事にしてお伝えする2つ目「②感情を受けとめる」です。目次は以下になります。
「②感情を受けとめる」の目次
安心できる環境の中で、心地よく過ごす
感情の学びは、生まれた瞬間から始まります。赤ちゃんが泣くのは、「誰か自分の不快感を何とかしてほしい」と助けを求めるからです。そのとき、助けに入るのが保護者です。感情の学びは、その一連の流れから生じます。
赤ちゃんが何かを不快に感じて「泣く」(誰か【保護者】に助けを求める)
⇒誰か【保護者】が来て、赤ちゃんを助けようと試行錯誤する
⇒保護者の何らかの関わりが、不快の除去や要求の充足を果たす。
⇒結果、赤ちゃんの不快感が消える
⇒不快感が消えて、快適な感情が生じる
⇒その場に誰か【保護者】がいる。
以上の一連の流れが、「感情を受けとめる」こと原型です。そもそも最初の一声、「産声」そのものが、人生の最初の感情の表出です。
それまで、羊水に包まれ、快適な温度の中で、赤ちゃんは呼吸をすることもなくいました。決死の思いで産道をくぐり、肺の中の水を吐き出し、やっとの思いで息をした瞬間。この決死の大脱出をしたとき、「苦しかったじゃないか!なんとかしろ!」と騒ぐのがヒトなのです。
感情は、自分の内側に生じた社会的な要求や願いを周囲に伝えるために備わっている道具です。人類が言葉を持つはるか昔、猿の時代から携えてきた能力です。仲間の庇護を求め、仲間に苦境からの脱出を要請するために、感情は進化してきたものです。
赤ちゃんが不快な感情を泣く形で示すと、周囲いる者、とくに保護者には何とか赤ちゃんを穏やかな気分にさせなければならないとの強い要求が生じます。自然界の中では、他の危険な動物を呼び寄せるような大きな泣き声を、いつまでも出させたままでいることは危ういことだからなのです。
子どもも保護者も共通に願うもの、到達したいものは、
こころ穏やかに、安心して居心地がよくいられることなのです。
子どもも保護者も安心して心地よく過ごす体験は、感情の受けとめが成功した着地点です。
こころの不調からこころの回復に進むために、子どもが思い通りに動けて、子どものこころが自由になるためには、安心して心地よい時間と体験の共有が必要なのです。
子どもの感情と感覚に気づき、言葉を与える
こころの不調は、前にも述べましたが、不快な感情に圧倒されること、過剰な願いに圧倒されることで、自分の思い通りに動けないということで起きています。つまり、こころの不調にあるとき、不快な感情の表出がうまくいかなくなっている場合が多いのです。
その表出がうまくできるようになるためには、子どもの表情や振る舞いから、不快な感情や身体的な不調を感じ取って、それを言葉で表現するようにしたいのです。もちろん、快適な感情も同じようにしてよいのですが、不快感の表現を手伝うことの方が難しいので、ここでは、不快感について述べます。
思い返してください。保護者は、赤ちゃんが泣き叫んだときにさまざまな声をかけたのではないですか?「あらあらどうしちゃったのかな?」「お腹空いたのかしら?」「お尻のほうかしらねぇ」…などなど。生れてから愛着が形成される生後半年くらいまで、表情や温もりでのコミュニケーションはすでに始まっていました。子ども側の反応の有無に関係なく、話しかけるようにしているものですし、そう心がけていたのではないでしょうか?
生後半年くらいまで、赤ちゃんの発信に保護者が反応するやり取りが活発に行われている時期であったのです。そして、赤ちゃんの欲求を叶えることで機嫌が良くなり、そのタイミングで保護者が声かけをしていたのではないでしょうか?そのことで、やがては意図して保護者の声掛けを求めるようになっていったはずなのです。
この話は、子どもを赤ちゃん扱いする話ではありません。たとえば、次のように声をかけることを伝えたいのです。心がけとして、生後半年までに保護者として関わっていたときの表情や温もりでのコミュニケーションをしていたときの感覚を思い出してほしいのです。声掛けとしては、次のようなことです。
子どもの浮かない顔・・・「浮かない顔しているように見えるけど…」
子どもが不安そうだ・・・「心配なことがあるみたいだだね」
「気がかりなこと…あるのかな?」
子どものイライラ・・・「イライラしているね」「腹立っちゃっている?」
「ムカついているように見えるけど」
子どもの嫌そうな顔・・・「なにか嫌なのかな?」
「あまりよくないようだね」「嫌になっちゃうね」
子どもが残念そう・・・「残念なんだね」「くやしいね」「悲しいね」
「がっかりなんだ」「嫌だよね」「ちょと腹立つね」
子どもが悲しそう・・・「悲しいね」「さびしいね」「懐かしいね」
「心配みたいだね」
子どもが緊張している・・「ドキドキするよね」「緊張しちゃうね」
「心配がある…かな?」
感情には、他にもさまざまあって、これ以外の言葉の変化球もたくさんあるでしょう。お子さんの感情を言い当てれば良いという話でもありません。少しズレても、良いのです。子どもの方が、感情の言葉を修正してくれるときもあります。
感情に言葉を与えることには、不快な感情に圧倒されている子どもにとって、さまざまな効能があります。
第一に、一番重要なことですが、落ち着いた声で、子どもの感情を表情から推察して、不快な感情を言葉で表現することです。それは、「その感情を感じて良い」ことを意味するのです。
第二に、「それを言葉で表現して良い」とのメッセージが伝わる点があります。
第三に、その感情の言葉が与えられることで、不快感を表現する術を与えることができる点があります。どのように辛いのかを他者に伝えることができるようになる最初の一歩になりまです。
感情は、目で見えるものではありません。「自分の内側にあって、欲求、要求、願いの塊」のようなもの、それが感情です。生理的な反応、たとえば、「痛み」などに近く、他者には想像でしか見当がつきません。その「目に見えないもの」は、その感情とそれを引き起こす欲求、要求、願いを感じている瞬間にしか言葉を与えられません。それが感情の「言語化」の意味です
感情の言葉は、生まれた瞬間から、保護者から繰り返し与えられ、その背後にある要求が叶えられるこで、身に付けてきました。その感情の言葉を表現すれば、どのような種類の願い、要求がその背後にあるのかの見当が付きます。
不安や恐怖は、破滅的な目に遭いたくないということで、よりよく生きたいということです。悲しみは、誰か自分を助けてほしいということが、大本の願いです。また、怒りは、変化を求める欲求の強さの表れです。
この点は次の「3.願いを受けとめる」でお話することになります。
子どもが感情を上手にコントロールしていることを喜ぶ
ここで「 子どもが感情を上手にコントロールしている 」とは、子ども自身が不快な感情に飲まれる前に、何とか自分でコントロールしようとしている姿を指します。感情に圧倒されないように、事前にそれを調節することを指します。
感情を乱すときの時間的な流れで言えば、不快な感情の大波が訪れる前に、その予兆を感じ取り、自ら暴発しないように工夫することを指します。次の項目「自分で感情を調節したこと」は、不快な感情の大波が過ぎた後で、その状態が落ち着き、立て直したことを指しますので、大波の前と後ろという区別では、感情の大波の前です。
自ら感情が暴発しないように事前に気持ちを落ち着けるためには、自分で自分のことをモニターする力が必要です。アンガーマネージメントなどで、「セルフコントロール」プログラムが提供されていますが、それは、感情の暴発を事前に調節することを指すと思います。
しかし、こころが不調の子どもの場合では、感情の波が訪れる前にその波をコントロールは想像以上に難しい課題です。そもそも、不快な感情に圧倒されることが、こころの不調なのです。ですから、こころが不調だと、感情の波が盛り上がろうとするのを抑えられなくなるのが普通なのです。これができるようになるには、次に述べる「感情の大波が過ぎ去った後」の方が調節が容易いのです。事後に感情を調節したことを繰り返す中で、感情を調節することの基礎を学ぶのです。
発達の順番から言えば、これは幼児期後期から児童期にかけて上達していくことです。子ども自らこれを試みようとするのは、発達段階としてはかなり後ろの方なのす。大人でもストレスがかかったときに、最初に崩れるのは、大波の到達の前の感情のコントロールです。余裕がなくなるのです。子どもでは、なおさら難しいことだと分かります。
感情を乱し過ぎないように、ぐっと我慢をしている状態ですので、周囲からは気づかれにくいことでしょう。我慢をしていることは、何らかの形で評価した方が身に付きます。その評価を「喜ぶ」としましたが、異論があるかも知れません。その感情に働きかけて効果的なのは、それを受けとめる側が、感情表現を持って迎え入れることです。その肯定的な受け止めの最大級は「喜ぶ」ことなので、そう表現しました。
ただし、これ以上に難しいことがあります。
感情は我慢し過ぎてはいけないのです。逆に感情に飲まれるのも良くないのです。ぐっと抑制し、表情を失うような場合は、感情を抑制し過ぎです。感情の波に飲まれて、我を忘れてしまうのは、心の不調そのものの直截的な表現ですので、好ましいとは言えません。どの程度を「良し」とするのかが、難しいのです。
自分で感情を調整したことを認める
先に触れたように、感情の調節を学ぶのは、感情の波が過ぎた後の方が簡単です。神経系は興奮すれば、いずれは、その神経系を興奮させる物質は枯渇し、十分に機能しなくなっていきます。しだいにその神経系は沈静化していくのです。感情の波は、いずれは下がってくるのです。
その段階で、子ども自身が感情を調整することを印象づけたいのです。こころの不調を感じているお子さんに、保護者が意識して意識して関わるのは、気持ちを収めていく最終段階です。最終段階で目指すのは、親子共にが普遍的に求める こころ穏やかに、安心して居心地よくなることです。
子どもの機嫌が直り、落ち着いたことを印象づけるようにします。「大変だったね。落ち着けて良かった」との心持ちで、感情の波が取り過ぎたことをにっこりして確認するのです。水分や飴のようなものを与え、生理的な満足を印象づけても良いかも知れません。
児童期以降であれば、感情が収まってから「気持ちが落ち着く前に何をした?」「何か考えた?」「何をしたら、気持ちが落ち着いたの?」「分かったら教えてね?」などと尋ねても良いかも知れません。それこそが、感情調節のことを意識化させることに繋がります。
不快な感情に支配されたときに、安定した感情になるまで、安定して、不安を抱かずに子どもに付き合う
最後に、保護者としては、一番、難しいことを述べます。こころの不調のある子どもが示す不快感の表現が最高潮に達した段階でどうするのか…ということです。
感情、とくに不快な感情は、強烈な要求を背後に持ちます。感情は、伝播しやすく、周囲に与える影響力は格別に強いのです。「何とかしなくては…」と保護者に思わせる力は強烈です。その中で、「盛り上がっても、いずれその波は下がる」と確信を持って、穏やかに不安にならずに、その波が鎮まるのを最大限の努力を払って待つのです。安定して不安を抱かずに、付き合うとは、忍耐強いこの作業のことを言います。
先に述べたように、子どもの感情や感覚に気づき、言葉を与えることを、ときどき行います。その言葉がヒットすると、穏やかになるときもありますが、感情に火を点けて、かえって燃え上がらせるようなときもあります。それのどちらが良いということはありません。両方ともに意味がある関わりでしょう。
大事なことは、どれほど泣こうが、怒ろうが、そのことでは子ども以上に揺れることはなく、どっしりと腰を据えて、そこに留まり続け、付き合い続けることなのだと思います。
以上が、子どもに寄り添う…ということだと思います。
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