学校に行かない(行けない)が生み出す安堵感
ここでは、不登校が継続すること、悪化していくことのメカニズムを、感情面、行動面、思考面の三側面に分けて述べています。今回は、行動面での悪化のメカニズムを述べます。
不登校になると、不快な場面を思い出す度に、不快感を味わいます。そのために、「学校に行かない」行動が選択されます。「今日は学校に行かない」と思い定めたときに、想像の世界で感じていた不快感は、その時点で、すっと和らぎきます。
不快感が和らぐこと、そこで起きるのが、「今日は一日生き延びた」とでも言うような安堵感、安心感です。日内変動と呼ばれますが、午前中登校するか否かで葛藤している段階は、元気がありません。けれども、「もう登校しても仕方がない」となると、午後には、人が変ったように元気になることがあります。学校がお休みの日に元気になるのも、このメカニズムによります(週内変動)。
これらは、とくに不登校の初期や、再登校を始める前後によく見られることです。午後やお休みの日に元気になるときに作用しているのが、この安堵感、安心感なのです。
安堵感が強める不登校行動
この安堵感、安心感が、翌日の「学校に行かない(行けない)」行動を強めます。つまり、翌日に学校に行く行動を妨げるように作用するのです。
「君子危うきに近寄らず」と言いますが、辛い場を避けるという学びの力は、とてつもなく強いものがあります。動物にとって、「痛い目」にあった場所のことを忘れてしまい、その場面を避けることができなければ、自然界を生き抜くことはできません。生死に関わる学習ですので、それだけ、行動面での学習メカニズムとしては、これは強力なものなのです。これを「罰回避学習」と行動科学では呼びます。これを模式的に示したのが、以下の図です。
この「罰回避学習」は、繰り返せば繰り返すほど、不登校行動を強めます。毎朝、不快な場面を思い出し、登校を葛藤するものの、結果として学校に行きません。この繰り返しが、学校に行かない行動を強め、日を重ねるにつれて、不登校行動が強められ、維持させるように働くのです。
学校への不快感が強いほど不登校は強められる
このメカニズムは、怠学のメカニズムを説明するものではありません。学校で体験した不快な場面を思い出したときに、そこで感じる不快感が強ければ強いほど、登校しないとなると、緊張や不安から安堵するまでの落差が大きいので安堵感も大きくなります。
安堵感が大きいほど、学校への行く行動にブレーキが強くかかるのです。怠学と言われるお子さんは、学校に行ったり行かなかったりします。そのお子さんよりも、ある時期からパッタリ登校しなくなった場合ほど、不登校が長引きます。それは、このメカニズムによります。学校での不快な場面で感じる不快感がギリギリまで辛いものになっていると、その段階で、学校に行かないことが強い安堵感を生み出すのです。そのため、学校への行かなさ(行けなさ)は、最初から強烈なものになってしまうのです。
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